まばたきをする体

抱っこして行かれますか

遊園地の売店でせがむ娘にこたえてぬいぐるみを買ったところ、店員さんに「抱っこして行かれますか」と言われたことがあった。そのまま渡すか、袋に入れるかという質問だった。

そういえばこの遊園地(というかディズニーランドですわい)は、ぬいぐるみを抱いて練り歩くお客をよく見かける。

娘がレジから離れた場所にいて確認ができず、なんとなく「じゃあ抱っこします」と言った。かわいいやりとりだなと思った。

もう8年も前の話で、でも8年間「抱っこして行かれますか」というのを、なんとなくたまに思い出した。

今日、図書館に行ったあとスーパーに寄ろうと商店街を歩き、銀行の前を通り過ぎると向こうからトラのぬいぐるみを抱えた小さな子どもとすれちがった。

何かのキャラクターなのかな、赤い冠をかぶって、大きい。しっかりと綿がつまって、自立するタイプのぬいぐるみ。

子どもが小さいから余計に大きく感じられよたよた歩く。あらこれはなんと可愛らしいことですかのうと、通り過ぎてからもしばらくでれでれした。

瞬間またあの「抱っこしていかれますか」が思い出されて、久しぶりに味わう。味わいながら、なんでこの言葉が忘れられないのか、どこにフックがあったのかなんとなくわかったような気がしたのだ。

>この遊園地(というかディズニーランドなんですが)はぬいぐるみを抱いて練り歩くお客をよく見かける。

と書いたが、あれはもともと、自然発生的にお客がぬいぐるみを抱いて歩くようになったんだろう。私が今すれちがった子どものように。好きでそうした。

それが同時多発なのかある一人が始めたかはわからないが、そういう、ぬいぐるみを抱いて歩くという空気ができることにより、お店でぬいぐるみを買うお客さんが「袋はいりません」とか「タグを切ってもらえませんか」等と申し出るようになった。

店側も気づく。さては買ってすぐ抱いて練り歩くつもりだなと。

それでいつか「抱っこして行かれますか」という声掛けが発生するようになった。

声掛けの発生によりお客の側にも(なるほど、このまま抱っこして行くのもおつだな)という、ひらめきが与えられることになる。そんなこと思いもしなかった層へ、ぬいぐるみを抱いて歩くという選択肢があらわれる。

店員さんはレジ前では、娘が離れた場所にいたため大人ひとり客のように見えたろう私にも優しく声をかけた。人の生きざまは自由なものだが、ぬいぐるみを大人が抱いてどうするという気分で生かされてきた人も、特に私のように若くはない生まれの方には多いのではなかろうか。そういった人々へ、店員さんの発言は大いなる赦しとして響くだろう。

「抱っこしていかれますか」には園内をぬいぐるみを抱いて歩くという文化の、発生と安定が含まっていたのだ。

そんなフィクションを考えながらスーパーでキャベツと大根を買った。

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