娘が「今日の合奏、うるさいよ、うるさいからびっくりすると思う」と警告するように言った。
学校で音楽発表会がある。コロナ禍で大勢の保護者が集めにくいとあり、通常全校で行う行事だが今年は学年ごとに分けて開催されている。娘の出る5年生の部が今日行われる。
「え、うるさいわけないでしょう」言って、「じゃあ、あとで行くからね」と娘を送った。
ひとつの家からは保護者が2人まで参加できることになっていて、子らの父は普段山にこもって暮らしていて近場にいないため、私の実家から母が応援にかけつけてくれた。
やあやあ楽しみねと母は言い、うん楽しみだね、こういうのがやっぱりあるとね良いのよね、コロナでなくなっちゃってたもんねなどと言いながら野外の寒さを確かめ身を縮め学校へ向かった。
演目は合唱と合奏の2曲で、ものの10分程度で終わる会ということが事前のプログラムで知らされている。とにかく大勢を長時間ひとところに止めておかないようにしようという気持ちが強い。
体育館は2階の窓が全開になっていて「寒いですがどうかご辛抱ください」ということだった。保護者たちはみんな承知でもこもこの厚着で集まっている。
並んだ子らの代表が立派に自分のことばで挨拶をして、私などはもう泣いた。マスク着用でも全員が歌っていることがちゃんと分かるものだなあと発見があった合唱が終わり、続いて合奏が始まった。
曲は「パイレーツ・オブ・カリビアン」の、あのテーマ曲である。
はじまったと同時に、あ! と思った。
うるさいぞ!
この気持はなんだろう、「うるさい」という言葉にはネガティブな意味がある。大きな音がしてやかましく不快だという意味だ。
でもそうじゃなくて、不快など微塵も感じず、むしろ感動のなかに、事前に「うるさいよ」と聞かされていたことにより宿った確かなうるささがあったのだ。
仕上がった演奏には子どもたちの練習の努力が現れていた、真剣な表情に集まった人たちに楽しんでもらいたいという気持ちがこもっている、単純に今もちうる力をここで全発揮しようという素直な気概も伝わる。
それとともに体育館に満ちり鳴るジャンジャカジャンジャカでかい音。
なるほど、これは確かにうるさい。声を出さず満面で笑った。
ネガティブな意味の言葉がしっかりとした信頼関係で両者申し合わせの上でポジティブに転じるということがある。申し合わせがゆるいとネガティブなままになるから絶対的に注意が必要だけど、「ばかだなあ」とか「あほか」とか。
「うるさい」にもそれがある。
子どものころ、妹とふたりで話すがなんだかお互いに話が聞き取りづらいなということがあった。かまわず話をしていたのだけど、ふと、後ろで弟が延々、トランペットのまねをしているのに気づいたのだ。
「うるさいよ」妹とふたりで言ったあと、弟も入れて全員めちゃくちゃつぼにはまって笑ったことがあった。
あの弟のうるささは「なんなん!?」という種の笑えるうるささで、合奏のうるささとはちょっと似ていてちょっと違う。体育館にはただ純粋に「音がでかい」という意味だけの「うるさい」が愛しさみたいなものとからんで出力されていた。
娘はアコーディオンの担当で、あのブカブカさせるやつをうねるように操作し、キーをなめらかに叩いていた。弾いてる真似をしてるんじゃない、ちゃんと弾いている、弾けていることにも感心した。というのも、私は小学校時代、勉強とか練習とかをすべてスルーする傾向にあり、合奏などはおおむねフリで押し通していたのだ(そして後で音楽の授業で行われる個別演奏の試験でばれた)。
終えて退出する保護者の波のなかで、上手だったわねえ、みんな立派だねえと感動しきりの母に、娘から「今日の合奏、うるさいよ」と言われた話をすると母も「確かにうるさいと言われればうるさかった、率直な表現するね」とめちゃくちゃウケていた。
帰って時間差で帰宅した娘に「言われたとおりだ、めっちゃうるさかったわ」と言うと「でしょう!」と嬉しそうだ。
楽譜を見せてくれて、特にここがうるさいんだよねなどと教えてくれ、ああそうそう、そこうるさかったと確かめ合った。
それから発表会成功のお祝いにコージーコーナーにモンブランを買いに行った。
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