母がやってきて乾麺をくれてうれしかったが、私の頭を見て毛が薄いねといって帰っていったのでプラマイがゼロだった。
「むかし金髪にしたのがよほどいけなかったんだろうね」と母は笑い、あっ! 嫌味だ! と思った。母は私が20歳のころに頭髪を脱色し金髪にしたのを当時から気に入らずことあるごとに咎めたが、それを薄毛の理由としてとりざたするのは嫌味だ。
最近嫌味について偶然急にあちこちで読んで学んだ。それが身に付き即座に発せられた言葉を嫌味と理解できたことに感動する。かつてだったら「ああ、むかし金髪にしたのがいけなかったのか」とうっかり自省していただろう。
まだまだ修練は必要だろうが、なるほど、これは嫌味だなと分かってとらえるとずいぶん楽なものだ。
ただし髪の毛が薄いのは事実なのでそこで悲しくなった。なぜ悲しい。
見た目のことをあれこれ言うのは良くない。それは他人にはもちろん自分にもだろう。毛の薄さをコンプレックスととらえる私は毛の薄さをよしとしていないわけで、偏見だ。
髪が薄くても私は楽しく生きていると思えればそれでいいんだろうな。
自分がよければまあいいんだけど、続いてこんな私を誰か愛してくれるだろうかと不安になる。薄毛だから愛せないという相手など相手にしなければいいわけだけど、めちゃくちゃ好きになった人が薄毛に否定的な価値観だったらどうしよう。
それはもうやむをえまい、私がその人にとってタイプじゃなかったということだ、ふられるということそのものの意味だとあきらめて帰ってきた娘とカレーを食べた。息子は今日から午後まで学校がある。
午後は仕事を休んでたまった雑務を一斉に片付けた。せっせと作業していると買ってあったスマホ用のガラスフィルムが届きすぐに貼る。
安いやつをなんのこだわりもなく買ったが、本のようなケースに入っていてうやうやしい。本の表紙には「Focus more, Enjoy moer」などと書いてあり、iPhoneでも買ったのかと思うくらいにエモーショナルだ。

貼る前に表面の汚れを取るためのウェットティッシュとクロスとシールが入っていて、貼り方は動画を見るようにとQRコードがついていた。
そんなに丁寧にやるかな!? あてずっぽうで適当に貼った。
フィルムは2枚セットになっていて、帰ってきた息子にも貼るよう言うと、息子はちゃんと動画を観ていて素直だったが、それでも空気が入っちゃったとあとで嘆いていた。
「おれには才能がない」
気にすんな。
夜は鍋。すっかり春がやってきてもう鍋はできないかと思ったがここ数日また寒さが戻っての実施。
食べながらテレビのニュースで漁業のことが報じられたのを見て、娘がねえねえ、と人々の注目を集めてから(いいですか?)という顔をして、しっかりためて、
「漁業が盛ん」
と言った。
笑う。なんだろう、社会科の教科書で「漁業が」と書かれたら続くのは確かに「盛ん」だ。あるある表現としての慣用句的な「漁業が盛ん」。それが伝わった。
息子は、でも「盛ん」の意味は「盛ん」という言葉でしかあらわせないしやむを得ないじゃないかと「漁業が盛ん」を擁護していた。
食後は子どもたちはテレビを観て笑っていて、私は隣室で本を読んだ。一緒に笑ったほうがいいのかなとちょっと思ったけど、まあそこはいいかと思い直した。
眠くなったので早々に寝る。最近子どもたちよりも早く寝ることがたまにある。こうやって私が育てている感じが徐々に薄まっていくのかな。
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