作文教室の帰りにパスモでジュースを買っているね? 寝ている娘に聞くと布団の中から「買ってない」と返ってきた。
「ベランダの缶捨てにさまざまなジュースの空き缶が出ているのを見たのだよ」昨晩寝る前に見つけたのだ。
するとまた布団の中から「作文教室の帰りには買ってない」「公文」と早口の声がした。
娘は公文式の教室に通っており、そうか、まだ娘が小さく私が送り迎えをしていたころ、途中にある自動販売機でジュースを買って一緒に飲みながら帰ったことがあった。
「あ! あの自販機で」「そう」「買って飲みながら帰ってるの」「帰ってきてから飲んでる」
確かに娘は公文から帰るとすぐに自室に引っ込む。こっそり飲むのおいしかろうな。「お小遣いで買うならいいんだよ、急に捨ててあったからびっくりしただけだよ」
それから息子とパンを食べていると娘も起きてきて朝ごはん。
食後、ソファに置いてあるぬいぐるみを見て娘が「北条政子だ!」と言っている。
長くかわいがっているうちにだんだん日焼けして色が薄くなってきてしまっており、最近娘と相談して日中は布でくるんでおこうということになった。それでさっきくるんでおいた。
確かにそのつもりはなかったのだけど尼僧の頭巾みたいになっている。娘は日本史の学習漫画を愛読していて、「マンガ日本の歴史」的な要素に日頃から目ざとい。

子どもたちが学校へ行き私は今日も在宅勤務。
午前中にリモートの打ち合わせに出ていて途中で服を後ろ前に着ているのに気づいた。リモートなので焦りの量はほぼゼロに等しい。
もし新型コロナウィルスが流行しなかった世界があったら、今日私は打ち合わせの途中で服を後ろ前に着ていることに気づくのだ。はっとして終わってすぐトイレに行って服から腕を抜いて回してなおす。
パンデミックが起きたほうの世界線にいるので私は、打ち合わせが終わるなりずんと服を脱いで方向を正して着なおした。
昼を食べて、食べたらず海苔にキムチを巻いて食べようとするとキムチの汁がこぼれるのでシンクに顔を出して食べた。
息子が帰宅し、居間の時計がおかしいという。地震のタイミングで電池がずれて動かなくなったのかも。この機会に時計を買い替えるのはどうかと息子は言った。居間の時計は気に入っているのだけどぼろぼろだ。
時計が壁に埋まっているやつ、あるじゃん。ああいう、おしゃれなやつとかどう。
「あ~~! 壁に刺さってるみたいなやつね、あるある!」「あるよね~!」「あるね、ある」「あるんだよ」「あるわ~」
ウォールクロックというものらしいが、ある~! という感動と共感が深まりすぎ、それを買おう、というのではなくただのあるある感激大会になった。私と息子のコミュニケーションによくある。
夜は炊き込みご飯とこんにゃくの田楽を食べて、それから息子が麻雀のルールをネットで調べ始めた。私がDSにソフトを入れっぱなしにしているので、あいたときにやろうという考えらしい。
そうか、息子はドンジャラで遊んだことが無いから麻雀というといちからルールを覚えなくてはいけないんだな。
それけっこう面倒なんじゃないかなと思ったが、そのうちDSで遊んでぐいぐい勝っていた。「フリテンってなに?」など都度聞くので教えた。教えられることがあるのはとてもうれしい。
それで思ったが、私も息子に数学とか理科とか教えてもらうのはどうだろう。中1なので私が学ぶにはまだ難易度的に間にあうんじゃないだろうかと思ったそばから自信がなく、今日のところは寝た。
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