まばたきをする体

シンプルな愛らしさを突き詰めることの異常なインパクト

早めに起きて片づけたい作業があったのだが二度寝したら思った起床時間より2時間遅かった。

早くに起きていたらしい息子は小学校中学年向けに易しく書かれた古事記の本を読んでいた。娘が図書館で借りてきたやつだ。

息子は低~中学年向けの本を今でもてらいなく読む。おれはもう大きいのだから、みたいな意識があまりないようだ。

いっぽう娘は「これは赤ちゃんらしい(赤ちゃんみたい、の意味、娘発で我が家ではみんな使う表現)からだめ」「これはお姉さんらしいから良し」と自分の年齢に見合っているかどうか厳しくジャッジする。

3人で「名探偵ピカチュウ」を観に行く日だ。いそいそ準備してでかけた。

私たちは全員、上映前に流れる別の映画の予告編があまり好きではない(ホラー作品のが流れたらこわいから)のでできるだけギリギリまで待合で待っていたいのだが、娘はなんでにでも遅れることを極端にそれこそホラー映画よりも怖がる人なのでやはり少し前には席についた。

ホラー作品の予告編は流れなかった。

そして……ピカチュウ……。

かわいかった……。

すごい作品だ。誤解を恐れず言うなら、という言葉はこういうときに使うんだろう。満を持して誤解を恐れず言うなら、毛の生えたふさふさでほわほわのピカチュウがかわいい、それだけの映画だ。

しかし、そのかわいさが尋常ではない。かわいいだけで、まったく問題がない。かわいいの質と量だけで映画自体の質や満足感を完全に担保している。

かわいい、KAWAIIの概念が拡張して久しいが、みんないまいちど、「様子やふるまいが愛らしい」という意味のかわいいに立ち返ろうじゃないか。そういう、シンプルな愛らしさを突き詰めることのインパクトを世に問う大変な問題作だった。

私たち3人はこれはというシーンで顔を見合わせ、口の動きで声に出さず(かわいい) (とんでもなくかわいい) (すごい、かわいい)と言い合った。

息も絶え絶えで劇場を出た。息子が、あのシーンが大変だった、と指摘したシーンが私にとっても一番かわいさすぎて問題だと感じていたところで大いに共感しあった。なんだったんだろう本当に、あのときのピカチュウの顔は。

そして物販にふさふさしたピカチュウのぬいぐるみがおいていないことに驚きあった。

お昼をすぎていたのでコンビニでおにぎりやパンなど好きなものを買って広場のベンチで食べた。

家にもどって私はもろもろ作業、子どもらは友達を探しにでかけたが遊び相手が見つからず帰って来てふたりでAmazonプライムで映画の「舟を編む」をすこし観てから「相席食堂」を観ていた。

娘は宿題で今日あったことを日記に書かねばならないらしい。うまく文案が思い浮かばず泣いてしまった。

いちど散歩にでもいこうか、と誘うとめそめそしながらキックボードを引っ張り出してきて乗った。

キックボードに乗りながら落ち込むつもりなのかと思ったが、すぐ元気になってジャージャー蹴っていた。まいばすけっとでグミを買ってやった。

帰ってきたら日記も書けていて、よかった。

夜になり寝る前に「いまごろまだ、まいばすけっと開いてるね」と娘が言った。



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デイリーポータルZの記事一
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