まばたきをする体

感じずに考える姿勢

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朝、Google Homeで息子→娘→私と入れ替わりでプレイリストを流していた。しばらくして飽きると「私の流して!」と交代を依頼するシステムだ。
 
外に用事があり、私のプレイリストが流れていたのだがなんとなくあえてそのまま外出。
 
帰ってきたら留守番の子らがいる居間にはまだ私のプレイリストが流れていた。
 
俺の好きな歌を俺のいない空間に流し続けてやったという快感といっていいのだろうか、ちょっとした支配感があった。
 
午後は娘を隣町のバレエの教室に送っていってそのまま稽古が終わるまで喫茶店で時間をつぶす。
 
カウンターの電源のある席のみ空いていた。給電の希望はなかったが座って本を読んでいると、気づかないあいだに隣の席があいたようで人が座って「電源お使いでなかったら使ってもいいですか」と聞かれた。
 
「どうぞどうぞ!」という。
 
私のものでもないのに、なにか譲ったいい気になった。
 
ブルボン小林「ザ・マンガホニャララ 21世紀の漫画論」を読んでいる。刊行は去年の11月だったのが確実に間違いなく最高におもしろいことが分かっているせいで安心しきって買うのが今になってしまった。
 
漫画評を集めたもので、評されている漫画を知らなくてもまるでおもしろい。個人的な気づきなのにすごく地に足のついた共感がある。
 
著者紹介文に「なるべく取材をせず、洞察をたよりに」がモットー、とあった。
 
たしかにすべてが洞察だ。足を動かさない、頭だけを動かし洞察できる人の洞察を読む価値がすごい。この本は1億冊売れるべきだ。
 
おもしろいからとにかく早く読み切りたいと思う。私は読むのが遅い。
 
時間をみはからい娘を迎えに行く。帰り道、娘は「白い部分だけしか踏んじゃだめ」というルールで歩いていた。私は自由に歩きたいところを歩いた。
 
帰って、「そういえば先週もバレエあったんだって」といわれて大ショックを受ける。1/5は正月休みと勘違いしていた。
 
ショックが大きく慌てておろおろした。
 
別にいいともいえるのだが、なんでか、学校だとか習い事だとかの教育機関のルールを破ってしまうと大変な衝撃を受ける。
 
自分は夏休みの自由研究をやらないくらい平気だったのだが、子どもたちには重大な責任を感じる。
 
親だからだろうか。
 
ショックすぎて帰り道に買ったキャラメルコーンを飲むように食べた。
 
いや、ショックがなくてもキャラメルコーンはいつも飲むように食べてしまうのだ。美味しい食べ物をゆっくり楽しむことができない。
 
娘はスーパーでもらった塗り絵を塗っていた。
 
60色あるクーピーを持っていてそこから色を選ぶ。色を色自体ではなく、色名で選んでいるようだった。
 
クーピーのケースに「あいいろ」「あお」など色の名前が書いてあり、番号で照会できる。
 
あおで塗りたいから、36番(あおの番号)で塗ろう、という具合だ。
 
こういう、感じずに考える姿勢、すごくすごくわかる。
 
夜は「すべらない話」を観た。色の名前の話があっておもしろかった。