まばたきをする体

池袋のキャッチの男に偶然その場で一矢報いる

コミュニケーションにおけるいやな思い出というのは忘れたいのについ反芻してしまう。

いやな思いをしたという以上に、いやな思いをしたにもかかわらずへらへらやりすごしてしまい一矢報いれなかったことへの後悔で忘れられないんだと思う。

こんなふうに言い返してやればよかった、そうすればああなったはずだと夢をふくらませてしまうのだ。

夢ふくらみすぎて夢のなかのFacebookでその話をみんながシェアしはじめるくらいのものである。

 

シェアされるほどのロマンはないが、しかし偶然にも後悔することなく一矢報いたなあということがあってはっと思い出した。

もう20年くらい前だと思うのだが、当時池袋には(というか繁華街全般だろうか)チラシ配りをよそおいつつ、配っているチラシをうけとるとしつこくなんらかの勧誘をしてくるというタイプのキャッチがよくうろついていた。

ある日うっかりチラシを受け取ってしまった。するとたしか夜のアルバイトか何かの勧誘がはじまった。さしあたって興味のない話だったのですみません急いでいてとさえぎるとキャッチの男性は舌打ちをして

「チラシ返して」

という。

怖い。

そして、理不尽である。

理不尽だがやっぱり怖いのでチラシを返そうとすると、チラシが手からすべりふわふわ道に落ちた。

ちょうど、リレーでバトンが落ちるような感じだった。

運動神経がわるいのだわたしは。

そしてこれ、様相としては「返して」といわれたことに腹を立ててチラシを道に捨てたようになったのだ。

 

キャッチの男がそのあとどうしたかは知らない。走って逃げた。

なにか悪態をついただろうか、チラシは拾っただろうか。

わからないが、今でもこれだけは嫌な思いに間髪入れずにその場で一矢報いた希望あふれるエピソードだ。

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RAIZIN MIDLが風景になる日

エナジードリンクを飲みつけない。

レッドブルとかモンスターエナジーとか、エナジードリンクというものを、はっと気づけば多くの人が飲むようになっていた。

ぼんやりと生きていて、エナジードリンクを視界にいれず飲むことを知らずにやりすごしていたのだ。

子どもの時分に習得する以外の、酒とかたばことかそういうやつは、いつかどこかのきっかけで習慣化するのだろう。「おぼえる」というやつだ。

たとえばわたしは22歳から25歳くらいのころに新宿のゴールデン街という飲み屋街のショットバーで働かせてもらっていたことがあって、それで酒を習慣的に飲むようになった。たばこはきっかけがなかったので吸わない。

エナジードリンクもそうだ。きっかけがなかったので習慣になることなく生きている。


RAIZINというエナジードリンクがある。パッケージを見ると、ああ、あるなあという感じのやつだ。

これを道でもらった。

渋谷だったか、サンプルを配っていて受け取ったのだ。

ああ、あるやつだ。そう思ってありがたく受け取ったが、飲む習慣がないのでどうしたらいいかわからず冷蔵庫に入れた。

で、冷蔵庫に入れたところ息子(小5)に見つかった。これ、飲んでいい? という。

カフェインが入っており小児は引用をひかえるようにとパッケージにある。

小5は小児ではなかろうと思うものの、とはいえ子どもだし大人の私が飲んでみたいからとりあえずきみにはやらぬ置いておいてくれ、と伝えた。

のだが、もったいぶってしまったからか息子は気になるようだ。

2,3日して、ねえ、あれ気になるから早く飲んじゃってよ、と言われた。

飲みたさがつのるから、飲んでしまってくれよと。気を持たせるくらいならいっそ振ってほしいという気持ちである。

わかる。

しかし習慣にないエナジードリンクはわたしにとって崇高なものなのだ。飲むような立場だろうかわたしは。とくに疲れるようなこともない。疲れる予定もない。飲めない。

それで結局置いたままだった。

息子に、あ、まだある! といわれたが、ごめんごめんとにごす日々が続き、ついぞ飲むタイミングはおとずれないまま、そして息子はなにもいわなくなった。

冷蔵庫のなかに、あの缶があることに慣れたのだ。

道でもらったRAIZIN MIDLは、我が家の冷蔵庫の風景になった。

のをいいことに、まだ飲んでいない。まだ疲れてはいないのだ。いつか飲む日がくるのだろう。

 

なにごとかを「おぼえる」ということについては、ラーメンというものをおぼえそしてコーラにおぼえのないことをこのエントリに書いていました。おぼえは人生そのものだ。

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思想なき生活を2人の女性がポップに語り散らす! 「心のなかのクーラー貴族よ育て」4/21(土)発売です!

こんにちはー! きょうはせんでんです。

デイリーポータルZのラジオコンテンツ「デイリーポータルZラジオ」でライターの小堺丸子さんとやっているラジオシリーズ、通称「生活感まるだしラジオ」の書き起こしを本にしました!

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4/21(土)に二子玉川で行われるウェブメディアびっくりセールで販売します。


まさか丁寧ではないし、かといって突き抜けるほど雑でもない、どうってことない単なるそこらの人の生活を、でもちょっと見直して語っています。

しぬまで続くあたりまえの生活が、誰かにとってはあたりまえでない。

たとえば私は現金をほとんど使わない一方、小堺さんは結構使います。
私は穴が開いてもタオルを使い、小堺さんはつい駄菓子を買い続け、そして私たちはクーラーという機械にどうしても感情的になるのです。

そこそこ刷ったので、イベント後もどこかで売るとおもいます!

表紙が地味なのですが、なかはゆかいに仕上がってます。どうぞよろしくお願いします。

 

「心のなかのクーラー貴族よ育て」
A5 78ページ 500円

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もくじこんなかんじ

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なか、こんなかんじです

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おいしいけどお腹いっぱいだからのこりはあとで食べる、だと!?

小2の娘が大きめのクッキーを半分食べたところで

「おいしいけどお腹いっぱいだからのこりはあとで食べる」

といって片づけた。

「おいしいけどお腹いっぱいだからのこりはあとで食べる」

これ、すごくないですか。

「おいしいからお腹いっぱいだけど全部食べる」

ということをしてしまいがちな私は目をむいた。

人類の長い飢餓の歴史のDNAが、娘にはないというのか。娘と私の出生年の差はたかだか30年程度である。

30年の間に人類になにが……。

私と娘という砂粒以下のサンプル数で人類にまでおもいをはせてしまった。

おもいをはせながら、それはすごいことだ、おいしいけれどお腹がいっぱいだから食べるのをやめられるというのは才能だからどうか大切にしてほしいと娘に伝えたがピンときていないようである。

なぜ、お腹がいっぱいなのに食べちゃうのか、その発想がなさすぎるようだ。

隣で話を聞いていた小5の息子も娘に賛成のようだった。思えば息子も3歳までは満腹中枢ぶっこわれたみたいによく食べる子で保健所からも太りすぎを指導されたくらいだったがいつからか食べるよりも遊ぶ方を優先させるようになって食べ過ぎなくなった。

単純に食べるよりも楽しいことを知っているということだろうか。

そうしていずれ、食べることよりも楽しいことをわすれ、お腹いっぱいだけど全部食べちゃうようになって子どもらも大人になるんだろうか。

 

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示唆をくむのが苦手にもかかわらず雑に映画を観てしまった

小1の娘と娘のお友達を2人、子ども3人を連れて映画「リメンバー・ミー」を観てきた。

それよりも先に友達と観ていた小4の息子に、後半畳みかけて泣かせてくるシーンがあると聞いていただけでなんの前情報もない。

道中はテンション最高潮の女子3人とコンビニでおにぎりを買って公園で食べつつ、輪になっておしゃべりしていたら娘が炭酸のペットボトルを振って開けて噴水になってそれをかぶったり、公園から映画館まで猛ダッシュしようとするのをいなしたり、絶対になにも出ないという3人をそれでも一応トイレに行かせたり、映画館にあるUFOキャッチャーがどうしてもやりたいというのを説得してあきらめさせたり楽しいながらに気ぜわしい。

そうしてわいわいワクワク着席してようやくひと段落し、ぼんやりするころ映画がはじまった。

そして、ただ観た。

なるほどこういう映画なのか。途中で隣にすわった娘のお友達がどうしてものどがかわいたというのでリュックから水筒を出して渡した。

息子のいうとおり後半に泣きどころが用意されていてがっつり泣いた。

終わって娘がほこらしげに、ねえ、〇〇の〇〇って〇〇の化身だって気づいた? と言ってきた。

あ、ああ……! 本当だ。ぜんぜん気づかなかった。洞察力偏差値2くらいで気づく容易な示唆のシーンだったが、見落としていた。

そもそも私は映画の示唆をくむのがまったく苦手な方だ。

映画評などを読むとあの映画にこれほどの情報が含まれていたのかとショックを受けることも多いし、だからこそ映画評をもはや2次創作のように楽しんでしまうところがある。

しかしここまで魂のぬけた状態で雑に観ることがこれまであったかなと思うくらいホゲーと見ていた。

そしてそういう見方でも泣き所ではむしろワンワン泣くのだな。泣くだけ泣いて、抜くだけ抜いてすっきりしてしまった。

終わって結局ガールズはそれぞれの親に電話で許可をとりUFOキャッチャーをやって盛大にスッた。


●ホゲーと見ながら思った「リメンバー・ミー

・主人公の男の子のほっぺがつるっつる、泣くとプルップルになるのがかわいい
フリーダ・カーロが出てくるんだけど、作品の難解さや抒情に踏み込んで気軽にいじってるのすごいよかった、アイコンは許してくれるという感じある

 

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なにもおそれるものはない、だけどいつもこわい

以前ある舞台作品を見て、あまりにもプライドが高くそれでいて妙な繊細さもあってキュートでふるえた。

なにもおそれてはいないが、けれどなにかにおびえているようだった。

 
なんといったらいいか、いわゆる前衛的な踊り、人間の日常では見られないへんな踊りが好きでよく見る。コンテンポラリーダンスとよばれることが多い。

 

ピナ・バウシュ という、2009年に亡くなったドイツの振付家がいる。

いまでもコンテンポラリーダンス界の最重要人物とされているのだが、彼女が率いたヴッパタール舞踊団は現在も活動中で、その公演(1980年代初演の「カーネーション」の再演)が2017年にも埼玉であって観た。

このとき、ポスターにあったコピーが「愛について、なにか話して」で、これは同作を振り付けるときにこの言葉でダンサーからヒントを得たらしい。

このコピーで、作品からあふれるプライドの高さとそれに反したおそれのようなものについてちょっと納得がいく部分があった。

愛を語るときにプライドが高まるのは人間のかわいらしさだ。
しかし愛される自信はいつもなくこわい。


愛にかかわらず何かを表明するときプライドを持ちながら同時に自信もないのはわりと人の汎用的な感情なのかもしれない。

なにもおそれるものはない、だけどいつもこわい。

とくにSNSやらなんやらでわっちゃわっちゃなりがちないま発表される作品にはいよいよあてはまりやすくなってるんじゃないか。

 

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娘と祖母が私には見えない楽しみを感じ取っている

小1の娘は、選び取ること、自ら選択することに本当にどん欲だ。ハングリー精神が強くて驚かされる。

たとえば3個入りのヨーグルトがある。なかみはどれも同じだ。しかし娘はどれにするかかならず自分で選び取る。

彼女にしてみたらふたに違うイラストが入っているので好みのものを選んでいるだけなのだと思うが、そういうところに選ぶ楽しみを見出すことは私にはできない。

だって中身はおなじなのだ!

せめてキャラクターがいろいろなら興奮するかもしれないが、全部牛だ!

 

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大人だからそう思って切り捨ててしまうのだろうか、逆に娘はまだ子どもだからワクワクできるのか。

それで思い出したが、以前同居していた祖母にもそういうところがあった。

干菓子の落雁から好みの形のものをうきうき選ぶのをみたことがある。娘がやってるのはそれと同じことだ。

「干菓子の落雁から好みの形のものをうきうき選ぶ」。老婆がそれをやるというのはチャーミングだしちょっと粋で品があるようにも思う。

選ぶ楽しみの感受性の強弱ってある。

娘も祖母も私には見えない選ぶ楽しみを感じ取っているのだ。

豊かだ。

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